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夏目 漱石
(写真提供:国立国会図書館)
| 人名 | 夏目 漱石(なつめ そうせき) |
|---|---|
| 本名 | 夏目 金之助(なつめ きんのすけ) |
| 生年月日 | 慶応3(1867)年1月5日 |
| 没年月日 | 大正5年12月9日 |
| 紹介文 | 1867年牛込馬場下横町に父夏目小兵衛直克母千枝の五男として生まれました。生後間もなく塩原昌之助の養子となりました。18歳の時(明治17年)に大学予備門に入学しました。22歳の時夏目家に復籍しました。同年、第一高等中学校本科に進学しました。翌年1月正岡子規と知り合います。24歳の時、東京帝国大学文科大学英文科に入学し翌年特待生となりました。27歳の時大学院に進みました。 29歳の時に愛媛県立伊予尋常中学校の嘱託教員として赴任しました。30歳の時に同校を退職し、熊本の第五高等学校の講師に就任します。同年6月貴族院書記官中根重一長女中根鏡子と結婚しました。7月教授に昇任しました。34歳の時文部省留学生としてイギリスに留学します。36歳の時滞在中のロンドンで正岡子規の死去を知りました。同年12月に帰国しました。 37歳の時、本郷区駒込千駄木町57番地(現向丘2-20-7)の家に転居しました。第五高等学校教授を辞任しました。4月、第一高等学校と東京帝国大学から講師として招かれました。38歳の4月に明治大学講師を兼任します。 39歳の時に、「ホトトギス」に「吾輩は猫である」を発表しました。以後、「倫敦塔」「坊つちやん」「草枕」等を発表しました。41歳の時、大学・高校を辞して、朝日新聞社に入社し、「虞美人草」を連載します。44歳の時伊豆修善寺で大吐血し、寝台のまま帰京しました。48歳の時(大正3年)「こゝろ」を朝日新聞に連載します。50歳の12月9日死去しました。朝日新聞に連載中だった「明暗」は未完に終わりました。 |
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おもな作品
評伝など
掲載日 令和7年10月14日







