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野上 彌生子
(写真提供:野上彌生子文学記念館)
| 人名 | 野上 彌生子(のがみ やえこ) |
|---|---|
| 本名 | 野上 ヤヱ(のがみ やえ) |
| 生年月日 | 明治18年5月6日 |
| 没年月日 | 昭和60年3月30日 |
| 紹介文 | 大分県臼杵町の小手川酒造の長女として生まれました。明治33年本郷弥生町の叔父小手川豊次郎方に身を寄せ、巣鴨庚申塚の明治女学校に通います。明治39年、当時小石川原町に住んでいた同郷の東大生野上豊一郎と結婚、翌年明治女学校高等科を卒業し、11月、巣鴨町に転居します。 当時、豊一郎は漱石山房に出入りしていましたが、そこでの話は彌生子の創作意欲を刺激し、作品は豊一郎を介して漱石の丁寧な添削を受けました。こうして彌生子のデビュー作ともなる作品「縁」が漱石の紹介で『ホトトギス』に掲載されました。 大正6年頃、小石川区指ケ谷町7番地に居住。以後、3人の子どもを儲けつつ「海神丸」「真知子」などの優れた作品を着実に発表していきます。また、この間住まいも荒川区、疎開先の軽井沢山荘と変わりますが、昭和23年世田谷区成城に居を定めます。 昭和25年「先生で、友達で、兄弟で、勉強仲間であった・・」夫豊一郎が急逝します。 その後も創作意欲は衰えることなく夏は軽井沢山荘で、冬は成城の自宅での生活が続きます。豊一郎亡き後、山荘の隣人であった哲学者田辺元との交流が思いがけない「老年の恋」に発展し、彌生子の生活に大きな輝きを与えます。 その後、昭和47年、明治女学校を舞台とした自伝的小説「森」の執筆を開始しました。しかし、完成を目前に永眠します。100歳までにわずか1か月程の朝のことでした。 |
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掲載日 令和7年10月14日






