林 芙美子

(写真提供:新宿歴史博物館)

人名 林 芙美子(はやし ふみこ)
本名 林 フミコ(はやし ふみこ)
生年月日 明治36年12月31日
没年月日 昭和26年6月29日
紹介文 林芙美子は福岡県門司市に生まれ、7歳の時にその土地を離れてから、各地で転々と過ごします。大正5年、尾道市第二尋常小学校5年に編入した芙美子は小林正雄訓導に目をかけられ、女学校への進学を勧められます。尾道市立高等女学校に入学してからも、国語教師の森要人、今井篤三郎に文才を認められ、芙美子もまた両教師に影響されました。
 
18歳の時には、「秋沼陽子」の筆名で新聞社に投稿した詩と短歌が発表されました。女学校を卒業した後、東京で大学在学中の恋人・岡野軍一を頼り上京します。当時、岡野が住んでいた小石川区雑司ヶ谷に移り住み、銭湯の下足番、工員など職を転々とします。この岡野軍一はのちの『放浪記』の「島の男」のモデルとなった人です。この岡野、大学を卒業すると、芙美子との婚約を破棄し、因島へ帰郷してしまいます。同じ年の9月、関東大震災が関東を襲い芙美子もまた尾道へ一度帰ります。この折に尋常小学校の恩師、小林正雄に筆名を「芙美子」にするように勧められます。また、この頃から「歌日記」と題する日記を書き始めたといわれ、これがのちの『放浪記』の原型になりました。

20歳の時、再び上京し工員、売子、カフェーの女給などと職を転々とします。その一方で童話や詩を書いては出版社関係に売り歩き、徐々に文学社会へと近付いていきました。翌年、俳優で詩人の田辺若男と同棲を始めると、その縁で本郷東片町の南天堂書店の2階にあったレストラン「レバノン」の常連、萩原恭次郎、壷井繁治、岡本潤、神戸雄一、高橋新吉らと知りあいになります。大正15年、本郷追分の酒屋の2階を間借りしていた平林たい子の部屋へ転がり込んだ芙美子は、本郷駒込蓬莱町の大和館に下宿していた画家志望の手塚緑敏と出会い結婚します。その後も緑敏に支えられながら創作を続け、『女人芸術』に『放浪記』の連載がはじまり、昭和5年には改造社から単行本として出版されベストセラーになりました。これを機に芙美子は一躍流行作家になりました。
関連URL ・新宿区立林芙美子記念館