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(写真提供:窪田空穂記念館)
人名
窪田 空穂(くぼた うつぼ)
本名
窪田 通冶(くぼた つうじ)
生年月日
明治10年6月8日
没年月日
昭和42年4月12日
紹介文
歌人、窪田空穂は明治10年6月8日に長野県東筑摩群和田村町区に生まれました。
中学校を卒業した明治28年19歳で上京し伏竜館(本郷湯島天神下)に寄宿し、東京専門学校(現早稲田大学)で学びますが、1年で退学してしまいます。その後一時帰郷しますが、「日本」などに短歌を投稿し続け、正岡子規選新年雑詠に載りました。
再び上京し、明治38年第一詩歌集『
まひる野
』を刊行します。明治40年30歳で亀井藤野と結婚、牛込矢来に新居を持ちました。明治41年長男章一郎誕生、女子美術学校講師などを務め、その間歌集『青みゆく空』、翻訳「小公女」『
源氏物語
』などを刊行します。明治45年小石川竹早町(小石川5丁目)に、大正4年小石川久堅町(小石川4丁目)に転居しました。北アルプスへの紀行文集「日本アルプスへ」、歌集「流れる川」、文集「旅人」、翻訳「小公女」などを刊行し、公私ともに穏やかな恵まれた時期でした。
しかし、大正5年に次女なつを、大正6年愛妻藤野を亡くします。歌集『
土を眺めて
』は亡妻の挽歌集です。長らく所在不明になっていて平成16年秋に発見されたのが、追悼帳『
亡妻の記
』です。そこには妻藤野からの手紙、日記からの抜粋が収録されています。
一時高田村雑司ケ谷(豊島区)に移りますが、大正10年小石川雑司ケ谷88番地(目白台2-4-16)に移り、昭和42年91歳で亡くなるまで暮らします。短歌、小説、随筆、歌論、評釈と多くの分野の著作を残し、後人を育てました。
空穂の歌
この道を行きつつ見やる谷超えて 蒼くもけぶる護国寺の屋根
目白台の空を真北に渡る雁 稀に見る雁の四五十羽かも
関連URL
・窪田空穂記念館